大阪府 貝塚市 宝林山浄土真宗本願寺派【円光寺】のオフィシャルウェブサイト

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円光寺

About

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このたび当寺院の境内地にて新しく永代供養墓所を構成いたしました。
今まで私が僧侶として法務に携わって参り、切実に感じていた事は、
永代供養墓所が不足しているということでありました。
 
少子化問題など時代の流れもあり、従来の家系の継承の意味を持つお墓から
様々な事情により、個々の永遠の眠りの地という意味のお墓が急速に必要となってきました。
 
私どもの寺院では、本堂に近い場所に墓所を確保し、
"仏様に近い場所で、仏様に見守られ導かれる"
そのような霊園にしてゆきたいと思います。

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円光寺 は、浄土真宗本願寺派。宝林山。
本尊は木造阿弥陀如来立像(江戸時代の制作)
寺伝によると、天文年間(1532〜55)伊賀国(現在の三重県)の
朝島三之丞という者が来住し、禅宗に帰依して自ら恵空と名乗り当寺を開き、
1717(享保2)年の三益の代に浄土真宗に改宗したという。
しかし、1673(寛文13)年に西本願寺第14世寂如から本尊を下付され、
寺号が許されていることから、浄土真宗に改宗したのは寺伝より古いことがわかる。
江戸時代は京都の福泉寺の末寺であった。
現在残る本堂は、江戸時代後期(18世紀後半頃)の建築と考えられる。
境内に残る鐘楼の軒先きには、1945(昭和20)年の貝塚空襲による焦げ後が残り、
当時の猛火を今に伝えている。
また、境内には樹齢300年はあろうかというカイヅカイブキの巨木がある。
 
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円光寺の本尊である阿弥陀如来立像です。
足柄の墨書銘から西本願寺御抱え仏師の(渡辺)康雲の作と分かります。
「木仏免許状」によると、寛文13年(1673)9月4日に本願寺第14世
寂如上人から下付されたものです。
ヒノキ材で、玉眼をはめ、肉身部は金泥塗り、衣部は漆箔仕上げとした、
寄木造の像です。
衆生を温かく見下ろすような感じを受け、阿弥陀如来の慈悲深さを
うまく表現したぞうになっています。
興味深いのはその構造で、体幹部は前後三材製、足柄を差し
込んでいます。
江戸時代の仏像制作における材料の節約と制作行程の能率化
が分かる良い例です。

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行事
 
東盆踊りは、江戸時代中期に円光寺(貝塚市東所在の浄土真宗派本願寺派の寺院)において始められた
報恩講(浄土真宗の開祖親鸞の命日に行われる法要)が起源とされています。 ゆったりとした三拍子の音頭で。
哀調をおびた独特の節まわしをとります。「くどき」と呼ばれる音頭が中心ですが、「ヨホホイ」と呼ばれる独特の
ものも残っています。伴奏には太鼓や鉦を用いず、三味線や尺八・横笛のほか、胡弓や大正琴も
用いられています。踊りは手りのしぐさから、「念仏おどり」の一種とも言われています。
踊り手はゆかた姿のほか、いろいろな仮装をして踊ります。
午後8時から12時近くまで踊られ、昔は最終日の夜は、夜通し踊り明かしたそうです。
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見学は随時、受け付けております。お気軽にお問い合わせください。
駐車場は境内にご用意しています(10台程度)。